「越のむらさき」のキャラクターでもあるお地蔵さま「こしのじぞう」を平成十六年一月に外へ出し、長岡市立科学博物館の山崎進さんから調べていただきました。
その結果、お地蔵さまの下に置かれていた台石に彫られた文字から、私たちも知らなかったいろいろな事実が明らかになりました。
まず、台石の裏側ですが、そこには「文化三・三月」という言葉が彫られていました。つまりこのお地蔵さまは文化3(1806年)年の3月に建立された、ということになります。
左側面には「千手・たはこや・音蔵・若連中」、さらに右側面に「有縁・無縁・萬霊」と彫られていました。
千手(地名)のたはこや(たばこ屋=屋号)の音蔵(人名)からの寄進、という意味だそうです。
このお地蔵様は音蔵さんの一人娘「おなか」が摂田屋の二又道で神隠しにあったことから、供養のために建てられたものだそうです。
台座の正面には「右ハ江戸 左ハ山路」と彫られ、そのため道しるべ地蔵とも呼ばれていました。
当時旅する人は、このお地蔵さまに旅の無事を祈り、江戸へと旅立ったそうです。
お地蔵様の下の台石に文字が彫られていることをお話しましたが、実は台石は2つ重ねて置かれています。1つは建立時のもので、もう1つは道しるべ地蔵を高くするために追加されたものだそうです。その2つの台石に書かれている言葉が微妙に違っていたことも調査の結果判明しました。
上の台石には「たはこや」と彫られているのですが、下の台石には「たむこや」と彫られていました。「は」の異体字が「む」に似ているため読み間違えられたのではないか、と考えられています。
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江戸から続く越後の風味 まごころと伝統の醤油
株式会社 越のむらさき
お地蔵さまは、東山の釜沢地区に産する釜沢石で造られています。
この釜沢地区は、江戸時代には全国的にも有名な石の産地でした。あたりの柔らかさから神社の敷石に多く使われていて、弥彦神社の参道にも使われているのだそうです。
現在、産業としては衰退してしまっているようなのですが、宮内地域から村松地域にかけては今でも石屋さんを多く見ることができます。長岡市では、この釜沢石の産したところを”石彫の道”として整備し、石彫りの作品を置いているそうです。
今回の調査のおかげで、私を作ってくれた人のことをみなさんに知っていただけて、大変嬉しく思っております。
約200年この地におりますが、調査のために初めて空けてしまいました。調査が終わって戻してもらった時には、思わずほっとしてしまいました。
また、「有縁・無縁・萬霊」とは、この世における命あるものことごとくの霊を供養する、という意味になるのだそうです。
それ以来、土地の人からは「おなか地蔵」と呼ばれ、子供たちの難病治しや子宝を授けてくれるお地蔵様として大切に祀られていると語られています。